黒川紀章が原点
カプセルホテル、その原型を創りだしたのはホテル創設者という立場の人間ではなく、作品となるホテルの形をデザインした建築家が全ての生みの親になっています。こんな斬新すぎるデザインのホテルを創りだしたのだから、どんな天才かと思ったが、知った時の感想は妙な納得とともにこの方の作品だと言われてどこかしっくりと来てしまった。誰なのかというと、カプセルホテルを創りだしたのは日本屈指の、稀代の建築家としてその名をしらしめた『黒川紀章』さんその人です。すでに故人となっていますが、生前において奇抜な行動などをかましたこともあって印象が良くない、という人もいるでしょう。
確かにこの方について話をしていくと、どうしても奇行という奇行ばかりが浮かび上がってきてしまいます。それだけキャラが引き立っているとも解釈できるわけですが、そうした点など意識せずとも素晴らしさを語らなくてはならない部分が他にもある、そうおっしゃる人もいるはずだ。
筆者は建築家、というよりは芸術家的な思考が強いと見ているが別段間違っているとは言わないでしょう。事実として、カプセルホテル以外にも様々な建物を作り出してきているのだ。そのどれもが一般人には思いつきもしないようなスタイルのもので、色濃くて一目見れば確実に印象残る事間違い無しといった代物ばかりだからです。自分の常識では語ることの出来ない、建築家という生き物が生み出した作品の数々はまさに至高の芸術と呼べます。
建築家という顔
黒川紀章さんは2007年に没しましたが、生前までに関わった建築計画も多く、中には完成してもうまもなく完成すると言われるものもある。また海外での活躍も見られるので、建築業界という枠では日本のみならず世界的にその名を残しているというような文化人だ。イマイチ筆者は実感ないのだが、これまで完成させてきた作品を見るとそれも首を縦に振りたくなる。前衛的であり、個性的な外様ではあるものの高く評価されています。
その作品の一部を取り上げると次のようなものが挙げられます。
黒川紀章の創りだした作品たち
国 | 建設年 | |
---|---|---|
ガスプロム・アリーナ | ロシア | 2016年予定 |
板橋大遠百Mega City | 台湾 | 2011年 |
吉運堂ストーンミュージアム | 日本 | 2010年 |
長崎県立埋蔵文化財センター | 日本 | 2010年 |
大阪府警察本部 | 日本 | 2008年 |
アスタナ新国際空港 | カザフスタン | 2005年 |
ゴッホ美術館 | オランダ | 1999年 |
世界にその名を知らしめる
ある1つの情報だけに縛られていれば、まさか黒川紀章という名の建築家がこんなに世界各地で建物の建築計画に関わっていたことなど知らない人の方が多いでしょう。それも仕方がないかもしれません、何せこの方は亡くなる少し前に東京都知事選挙に出馬、東京都知事を目指していた時期があったのです。その頃、見ていたニュースで都知事選がどのように転ぶかを一視聴者として眺めていた筆者にとっては、彼が公約として掲げたものを理解しようとは思えなかった。
選挙中も突拍子もないことをしてはメディアに注目されるも、結局得票数に大差をつけられてあっさりと言わんばかり敗退しています。本人にしてみれば悔しいだろうと思ったりもしたのかも知れませんが、芸術家というのは存外変人・奇人の発生する確立でも多いのかといった誤解をもたらしたのではなかろうか。それだけインパクトはあったのかもしれませんが、彼が都政を運営していくと考えたら恐ろしくて任せられなかった人が多かったのではないか。
ただ彼に同調して投票した人もいたという、得票率的に見ると3%もいたというから物好きな人が多かったのか。
黒川紀章という天才をどう見るか
彼ならば日本に、都内に革命を起こしてくれるかもしれない、そう思った人が3%も近くいたというのはやや疑問に思いかねる。芸術家としては天才的な感性の持ち主なのかもしれませんが、人間的な面からす彼を都知事という立場に迎える、あるいは議員として政治家としたらどうなっていたことか。彼の思想を否定するわけではないが、賛同できるものではないのが個人的な意見だ。個性的で、建築家としての才能は評価に値する、今なお彼に比するような建築家は中々いないと断言してもよいでしょう。
しかしだ、そんな彼が創りだした作品の中には物議を醸しだして建てなおすべきだとする意見が噴出しているものもある、それが皮肉なことに、カプセルホテルの参考モデルにもなったといえるような大胆で、当時にすればこんな斬新な建物はないと高く評価されたものだ。